ハイデガ-哲学をギリシア哲学(プラトン、アリストテレス)の批判的継承として捉えることが、研究の目的であった。基礎的存在論としての『存在と時間』は、(1)現存在の分析論、(2)存在の意味への問い、という根本性格をもっている。この二つの性格の意味と射程は、ギリシア哲学の批判的継承という観点から、初めて理解される。 基礎的存在論を現存在の分析論の内に求めることは、アリストテレス『デ・アニマ』における「受動理性と能動理性」によって深く規定されている。Sorgeとしての現存在の存在、現象学の規定、非秘蔵性としての真理概念は、『デ・アニマ』の解釈に由来する。さらに現存在の分析論としての基礎的存在論の理念は、「存在論-神学」という形而上学の二重性(プラトン、アリストテレス)に定位して、初めてその意味と射程が捉えられる。 存在の意味への問いは、アリストテレスのπροζ ενの問題構制の取り返しであると共に、プラトンの善のイデアの次元に対応する。『存在と時間』における存在への問いは、アリストテレスの「存在者としての存在者の学」の理念によって方向づけられていると同時に、プラトンのイデア論によって構造づけられている。 『存在と時間』の体系構造をその最も深い次元で規定しているのは、形而上学の二重性というて問題構制である。それは、一方ではアリストテレスに即した「範例的存在者の問題」として解釈され、他方ではプラトンに定位した「超越の問題」として捉えられる。『存在と時間』の体系構想は、この二つの解釈・取り返しの可能性の間を揺れ動いている。それは『存在と時間』の「体系構想の揺れ」であるが、この揺れの中から、ハイデガ-自身の形而上学構想(基礎的存在論-メタ存在論)が生まれる。ハイデガ-の思惟の道は、ギリシア哲学の批判的継承という観点から、初めて真に理解されるのである。
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