前年度に引き続き、〓康の残した<論>の訳注作りを行った。今年度は、「宅無吉凶摂生論(宅に吉凶無し摂生論)」を中心として、当時の予言思想や家相占いの情況、とくにこの頃から始まったとみられる「風水思想」と〓康との関係を研究した。結果的には、〓康の思想がいわゆる合理主義的な常識論とは異なり、理性で判断し知覚することのできない領域を残さなければならぬ、と考えていあこと、また、予言に託す人の心と「養生」とが、ある神秘的な要素を共有している点でつながっていること、などが分かった。ただし、訳注については、この論文の難解さが充分克服できず、軟没している。中国から出版された中国語訳も手に入ったが、細かい部分で読み方の間違いやあいまいなところが多すぎてあまり参考にならず、訳注はいまだ完成するには至っていない。論文として、〓康の言語の特質を堀り下げることを目的としているこの研究は、いましばらく継続させなければならない。その際の着眼点は、あくまでも〓康のロジック、概念の新しい組みかえ、戦略としての論争などという「言語」ゲームに据えられなければならない。今後の課題の大きさを痛感している。 なお、言語思想一般については、多くの言語哲学的著作と研究者に触れ、問題の所在がますます明らかになった。語用論(プラグマティズム)と意味論(セマンティックス)との接点を求めることが、〓康のような現実的立場にアクチュアルに生きようとした思想家のことを考える際には必要であることが分かった。意味論研究としては、戦国時代の名家(めいか)や道家思想とのつながりを考える必要がある。また語用論的観点に、新しく中国古代哲学を考えるひとつのポイントになって来よう。いずれにせよ、研究の深化、拡がりに、この知見は大いに生かすことができると確信する。
|