近世日本の思想界に大きな影響を及ぼしてきた徂徠学に関して、これまでの研究は思想の分析を中心とするものであったが、本研究は藩政レベルの政治改革に徂徠の政治思想が具体的にどのような役割を果たしたのか、あるいは否かを実証的に究明することを目指してものである。 目的遂行にあたっては、先ず荘内、会津、弘前等へ出張し、各藩の藩校関係を中心とした広範囲の史料の調査・収集に努めた。また関連図書文献等の収集もはかった。これら収集された文献資料を解読し分析した結果、当初の予想を裏付けるような成果が得られた。 すなわち、徂徠学は思想的言説のレベルのみではなく、実際の政治改革の指導理念なり現実政策としても大きな役割を果たしたのである。荘内藩藩校致道館では徂徠学の政治思想を反映したカリキュラムが構成され、それに立脚した人材教育がなされた。また弘前藩では乳井貢(宝暦期)、毛内宜応(寛政期)といった藩政改革を中心的に主導していった藩士が徂徠の政治哲学や政治思想を踏まえて、改革を遂行していっていることが明かとなった。他に、熊本藩時習館でも徂徠学の思想にそった形で藩校が設立され、これが他藩の藩校のモデルとなっている。更に、幕府の寛政改革における教育行政を見ても、寛政異学の禁を押し進めたというイメージが先行する松平定信においてすら、その実、徂徠学の人材論が大きな影を落としていることが判明した。これらの個々の調査を今後更に広げて行けば、徂徠学の政治行政に及ぼした実態が浮かび上がってくるであろう。
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