今年度は、未来派の指導者であるマリネッティの思想を、美学的な観点と、メディア論的な観点との双方から、分析することに力を注いだ。まず、これら二つの観点が、みごとに遭遇する詩学を、マリネッティ自身が提示している。それは、無線的想像力の詩学である。無線電信が、有線によるものと違い、経路を拘束されていないことから発想されたこの詩学は、語を、さまざまな制約から解き放つ「自由語」の詩学へと導くはずだ。また未来派演劇についての宣言には、舞台と客席との垣根を取り払い、両者の間に、双方向的な交通を繰り広げさせようとする意図が明確化されている。ここにも、同時代のメディア状況の反映・摂取が見て取れるだろう。というのも、メディアの世界でも、電話や電信に見られるとおり、双方向化が進行していくからである。芸術の世界では、作り手からの一方通行が、すでに近代の強固な伝統となっていた中で、メディアの世界との対話のただ中から、作り手と受け手との双方向的な交通が、次第にはかられていく。その早い自覚的な例が、このように未来派に見出されるのだ。ほかにも、電気化した環境の中で、たとえば書物などが、異様にコンパクト化していく予言のようなものも、マリネッティは残している。しかし、その一方で、やはり彼自ら喧伝した「触覚主義」が、感覚対象としての微小化と無感覚化とに対する一種の歯止めともなっていたと思われる。この点は、メディアと芸術との関係において、基本的な問題であり続けている。
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