本研究では、まずメディア論の基本的枠組を設定した上で、未来派美学の可能性と限界を探るという手法を採用した。その基本的な枠組とは、メディアの進歩を、速度と記憶という二つの側面からなるものとする見方である。また方法論としては、本研究者自らが哲学的に開発した交通論という前提に立つことにした。 未来派美学の基本が、速度の美学にあることは、すでに未来派の創設宣言で明確に打ち出されているとおりである。この速度という点で、未来派の立場は、メディアの進展と完全に歩調を合わせることになった。未来派のさまざまな宣言においてなされた美学的主張は、すでに同時代の交通媒体を巧みに取り込むものだったのである。この媒体には、自動車や航空機といった乗り物から、ラジオや通信機器などの電気メディアまでが含まれていた。このような高速メディアの複合環境のうちに、未来派は、ある種の理想的未来社会を透視しつつ、その美学を練り上げていったと考えられる。 しかし、メディア進歩のもう一方の軸である記憶の外部化という側面は、未来派のメディア論には、まったくといってよいほど欠落していた。美術館や図書館、書物といった記憶装置は、未来派にとっては、破壊と攻撃の対象でしかなかったのである。このような欠落と一面性は、写真という、速度装置と記憶装置を兼ねたメディアに対する曖昧な態度となって現われた。今日の映像メディアを考えるとき、この点は十分に銘記すべきである。
|