中国において、様々なモチーフに吉祥的な意味を寓意することは、古くから行われ、現在に至るまで、連綿と続いている。中国絵画の一つの大きなジャンルをなす、花鳥画は、旧来その写生的表現について造形的な研究が多く行われてきたが、そのモチーフに潜むこのような意味の問題について、考察されることは、まれであった。それは、ひとつには、そのような意味が当時の人々にとって常識でありすぎたため、文献資料などに言及されることが少なく、また文人中心の芸術観によって、そのような絵画に託された吉祥的な意味について、文字資料が残されることがなかったことが、要因となっている。 本研究では、花鳥画モチーフに託された意味について、古く考古学的な文物に見られるモチーフの使われ方や『詩経』などに詠われたモチーフの意味などを手がかりに、宋以降の花鳥画のモチーフとそこに託された意味について、同時代の筆記や随筆などの文献、また陶磁器を中心とする工芸品におけるモチーフの使われ方などから探ったものである。特に宋代以降、職業画家によって描き続けられ、日本に多くの遺品が残っている一連の「藻魚図」「蓮池水〓図」「草虫図」について、そのような観点から、モチーフの意味とその受容について考察した(報告書では、「藻魚図」の部分のみが取り上げられている)。これらの、絵画はその吉祥的な意味を表現するものとして常に一定の需要があり、このように職業画家によって描き続けられたと考えられるからである。 さらに、それらの吉祥の画題が、文人画家によっても描かれ、その場合多くは儒教的な人格の象徴として同一のモチーフが別の意味で語られたが、本研究では、文人と民間の画家の用いたモチーフや意味の共有や二重性、両者の相互関連などについても着目し、具体的作品や文字資料によって考察した。
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