本研究が調査したのは、タイ農民と国際交流や国際協力をしている山形置賜百姓交流会と宮城県角田市の角田農協青年部、鹿児島県の「からいも交流財団」、佐賀県の「地球市民の会」に属する農民、それと新潟県内の農民で交流している人々である。山形と宮城、新潟の農民は稲作が中心、九州の農民は酪農が中心であった。彼らは農業経営が異なっているにもかかわらず、交際光流・国際協力をするに至るまでの背景や問題意識の点では共通点が認められる。減反を始め農産物の自由化、近代農業と農政に対する不信などが背景にある。新しい代替農業を求めて有機農業に取り組み、アジアの農民との連帯を求めての交際交流や国際協力を目指したことがきっかけである。 国際交流・協力の経緯については、NGOや農協、グループ、個人というように活動形態がいくつかに分かれていた。また、その結果について整理すると以下の通りである。タイ農民との交流・協力によって、農業技術などについての知見は多くはなかったが、別の異なる価値観を知り、日本人の生き方や価値観が相対化され、日本の社会と文化を反省して農業や生活に向かっている。たとえば、家族の絆が深まったり、労働観が変わったり、人々や地域の連帯の重要性に気づいたりしている。そうして、運動が横のつながりのなかで展開される必要を痛感し、自己変革のみにとどまることなく社会変革に至る道のりを想定している。 いま、近代農業の垢に染まった農民と言う言葉を拒否し、自ら百姓と名乗る人々が出てきている。自然環境と生命のやさしさを踏まえた百姓の哲学を求め実践している。様々な国際化が進むなかで百姓はいかにしたら生き残れるのか。その答を求めて、彼らはアジアの農民と交流し、連帯を希求しているのである。
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