本研究では、初期の農業論稿から「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の『精神』」にいたるヴェーバーの著作をフォローするなかで、彼の「市民社会」論をとらえ、その特質を当時のドイツ社会の状況とのかかわりで把握することに努めた。それは、1970年代以降の日本社会の変化を、「外から」の道徳から「内から」の道徳への転換という市民社会形成の視点から捉え、その理論構築のために後発の資本主義国であるドイツに生まれたヴェーバーの社会理論を市民社会論の視点から解明するためであった。 その結果明らかになったことは、マクロな視角でいえば、ドイツの市民社会化というヴェーバーの要請がドイツ国民国家の国民統合のための前提として考えられたものであったということである。したがって、通説とは異なり、市民社会化は必ずしもインターナショナルなものではないということである。またミクロな視角についていえば、ヴェーバーの場合には、市民社会化が功利主義と対立的に捉えられていることである。個々人の 利的な諸行為のなかから「内から」の道徳が形成されてくるというのではなく、功利主義に対する個人の自律性にもとづき「内から」の道徳が形成されるとしている点に特徴がある。いわば個人の自律的な行為に市民社会的道徳が埋めこまれているのである。これらの点は、「個」あるいは「私」にもとづく行為から如何にして市民社会的道徳が形成されるのかという今日的な日本社会の問題に対して大きな意味をもっていると思われる。 以上本研究では、イギリスを典型とする市民社会論との対比で、もっぱら後発資本主義国の市民社会形成について基礎的研究を行ってきたが今後は、これらの成果を踏まえて、日本社会の具体的な現状に即して、研究を深めていくことにしたい。
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