研究概要 |
1.ビブリオグラフィーを総ざらいして19世紀までの家庭教育論文献の総リストを通時代的に作成する作業を通じて、イギリスにおける家庭教育論の歴史的変容の中で家庭教育の内容および親子関係がどのように変化したかを分析しようとする本研究にとって、今年度は、コンピューター処理可能なかたちでの総リストの作成という作業に挙げて充てられた。結果として、18世紀以前に関してはほぼその作業を終了することができた。 2.その作業の中で-また同時にいくつかの重要と思われる文献の読解を進める中で-すでに知見として得られたことは、次の3点である。(1)これまでの教育史研究が対象としてきた(家庭)教育論文献はそれに関して作成され得る総リストからすれば当然ながらほんの一部であり、全貌を見渡すことなしには、家庭教育の内容および親子関係の歴史的変化を云々することはほとんど不可能に近い。なにが“education"と観念されてきたかということ一つをとっても確定的には答えられないのが現状だと言える。(2)それと関わって、今回、『子どもの教育』という銘打たれた17世紀の文献の中で胎教がかなりのスペースをとって論じられているのを発見することができた。この発見の意義は、第一にこれまでヨーロッパの胎教論に関する知見がほとんど見られないこと、また第二にこれによって子どもの教育にとって母親の占める位置の古来からの重要性がクローズ・アップされること、から大きいと考えられる。が、詳細は来年度まとめる予定になっている最終報告書に譲る。(3)試みにDaniel Defoe,The Family Instructor(1715・1718)を分析した結果、意外にも、そこにすでに子どもを“the most innocent,uninstructed inquirer"と把握しかつ“natural and rational"だとする子ども観を見出すことができた。そこでは、子どもこそが教師だと位置づけられることになる。
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