本年度は、調査に時間を要する門中組織の調査に着手した。歴史上、15世紀から19世紀にかけて琉球王府は、中国など海外と交易するために通訳や航海士として中国系の人々を登用していた。この中国系の人々は、中国福建省からきた人を祖先としており、その子孫は那覇の久米村に居住していたことから、彼らは久米人とも呼ばれていた。琉球処分によって琉球王府が消滅すると同時に久米村の職業集団も散逸したが、現在久米村の子孫が、それぞれの姓ごとに門中組織を形成している。このいわゆる久米系門中は、19の組織があるといわれているが、本年度はそのうちの毛氏国県会を対象とした。 毛氏国鼎会については、家譜資料の分析とその活動の参与観察を行った。家譜資料から国鼎会の組織と親族としての分節を分析し、中国の宗族とは異なって、異姓養子が行われていたこと、分節するにしたがって姓を変えていることなどが指摘でき、この点については沖縄における伝統的な門中の形成との類似点が指摘できる。また、門中の活動については、清明祭と東回り(アガリマワリ)の行事に参加して調査した。清明祭では供物が他の沖縄の門中と異なって中国的であることが指摘できる。東回りは、本来琉球王が自らの祖先と所縁のある土地を参拝する行事で、近代になって民間が取り入れて門中行事とたもので、中国人を祖先とする久米系門中にとって東回りは必然性のない活動であるが、沖縄系の門中同様この行事を行っていることは、久米系門中がこの点で沖縄化していることが指摘できる。次年度以降も、久米系門中を対象として宗族と門中の比較研究を行う。 さらに、中国から沖縄に伝来した風水思想について、石垣市を中心とする八重山地方で、集落・家屋・墓地について実態調査を行い、現在でも民間において風水思想がかなり浸透していることが判明した。
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