本研究は、江戸幕府や藩に提出された様々な訴願を対象に、それが内包する地域間・集団間の結合と分裂の問題や、権力による訴願処理の問題を具体的に解明することを目的にした。その結果、以下のような知見を得た。 1、従来、近世の幕藩権力は専制的・秘密主義的性格をもち、民衆は政治から遮断されていたと理解されてきた。だが、各地に残る訴願状の多くには、地域政策のあり方にたいする批判や、地域政策の変更を求める主張が盛りこまれ、それを受理した権力の側も、18世紀前期には、採用の可否を検討する訴願処理システムを制度化していたことが確認された。 2、18世紀半ば以降、領主層が民衆に政策提言を求めはじめることも確認できた。領主層は領域経済の充実・自立化や、領主財政の再建を最重要課題としたが、政策立案能力の限界から、政治のあり方や、個別の産物政策など、多様な献策を求め、採用された事例も少なくなかった。 3、一方、民衆の側からも積極的な献策動向が展開したことを確認できた。村や地域社会の再生策から、商権の回復を期待する商人の市場対策にいたるまで、その幅も広い。たび重なる凶作や飢饉で荒廃した農村状況と、商品経済の展開にともなう市場関係の激変などが、その前提にあった。 4、個人レベルの献策行為とは別に、マスとしての「人心」の動向=世論もまた、政治にあたえる影響力を増大させたことが確認できた。
|