1.研究の目的:天皇の皇居外への出向である「行幸」、室町将軍の将軍邸外への出向である「御成」について、(1)基礎史料の蒐集と書誌的な研究、(2)その政治的な意味の解明、(3)同時に行なわれる芸能(和歌・漢詩・音楽・蹴鞠)の考察を行なおうとした。以下、項目ごとに研究実績の概要を示す。 2.史料研究:(1)天皇の室町将軍邸行幸は、行幸勘例によれば、義満の時代の2度、義教の時代の1度と、計3度しかない。行幸の記録は、網羅的な記述を持つものと、例えば歌や音楽といった一部分のみが特に詳しい記録と、二種類ある。前者は意図的に作られた公式記録、後者は歌や音楽をいわば「家職」とするその家の者がまとめた記録と考えてよいであろう。史料はその成立の事情に十分配慮して使用されるべきである。(2)室町将軍の御成は多いが、公式的なものとなるとおのずと限定される。今回は天皇の行幸に見合うような大規模なものに重点を置いて調査を進め、義輝の三好義長邸御成記などに行幸記と通じる記載が認められた。 3.行幸の政治史:室町将軍邸への3回の行幸はいずれも政治的な意味が大きい。永徳3年の花御所行幸は義満の公家社会との交流のきっかけ、応永15年の北山殿行幸は義満の継嗣問題に対する示威行動、永享9年の室町殿行幸は義教の政治的絶頂を象徴するものであった。同時期の日記などによってこの間の考察を行なった。 4.行幸と芸能:室町期の晴の行事に、古くからの和歌・漢詩・音楽と並んで蹴鞠が加わったのは永徳の北山殿行幸がきっかけであった。蹴鞠はこれ以降武家社会に浸透することになる。義満が公家社会の文化であった蹴鞠に傾倒するようになる背後には二条良基がいるのではないか、という想定で考察を進めた。
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