筆者はかって「戦国期名本の存在形態」(『新居浜工業高等専門学校紀要』7、昭和46年)、「近世の名および名頭」(『伊予史談』210、211合併号、昭和48年)で伊予における近世名の成立および展開とその構造について考察した。幸いに平成5年度「四国における近世名の比較研究」で科研費が認められ、残されていた讃岐、阿波、土佐の近世名の比較研究にとりくみ、次のごとき新知見を得ることができた。 1.近世名には(1)中性名の系譜をひくもの(2)近世になって新しく成立したもの、の二類型があり、それが時代と共に消滅したり、変質しながらも近代まで存続したりした。そしてその相違は、夫々の名の置かれた自然的社会的環境などの相違によった。 2.近世名は村の中の村としての性格をもったので、近世村と近世名とは対立する関係ではなく、むしろ近世村の存立を補強する関係にあった。従って近世名は村共同体をより強固なものとする役割を果たした。 3.名単位に(1)検地、(2)新田改、(3)隠田改などがなされ、(4)貢組、(5)小物成、(6)夫役などが賦課され、(7)免引、(8)川成引などがなされ、(9)氏宮、(10)氏堂があり、名がすべてのものの単位として機能していた。 4.名には名頭がおり、名内の(1)貢組提出の責任者、(2)共有財産・用水設備などの管理者、(3)土地売買・金銭貸借などの請人、(4)氏宮・氏堂の司祭者、(5)農民相互の救済・共同生活の中心者であった。 5.讃岐の近世名には独自なものがみられ、それが免名であったように、それぞれの国の近世名には相違する点もあり、それぞれの国の近世名の特質となっていた。
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