明治国家形成過程期の基本問題を、核心的政治勢力の相互の関係や動向に目配りしながら研究を進めた。特に、薩、長、土という三大政治集団の性格や実態を相互連環的に検討することで、初期明治政治史の基本的諸問題を総合的・構造的に理解したいと考えた。薩長土三藩出身政治勢力の構造および政治運動上の特質への理解を深めるために、征韓論政変、大阪会議、西南戦争と段階を画しながら検討・考察を進めた。その結果、長州派総代の木戸孝允のこの時期における思想と行動の変還をたどることになった。木戸は、慶応4年春に維新政府に出仕してから廃薩置県断行に至るまでは、積極的に西洋化を推進しようと意気込む「開明派」の頭目の観が強かった。しかし、一年半の米欧回覧から帰国して以降、明治10年に病死するまでの5年間の木戸は、急進的西洋化の危険性を強調し、漸進主義の重要性を事ごとに唱えた。そして、立憲議会政治導入、気長で着実な教育による国民開明化、積極的な対外政策の展開よりも着実な民力涵養・産業化の基礎構築の必要性を提唱して、大久保利通の強力政治に対抗した。明治10年間の木戸の政治意識の変移を追いかけて、背景にある初期明治政府の権力構造および性格形成過程の問題点を考察して、「明治政府と木戸孝允」という題目の論文を『高知大学学術研究報告』に発表した。
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