1.主として東北諸藩の知行制について、西南諸藩の一つ佐賀藩との比較を念頭におきながら検討してきたが、従来例外的・特殊的と目されてきた上層給人の知行地支配の分析が近世社会の特質を考える上で重要との結論を得た。つまり、上層給人は知行地と強固な関係を有し、領主としての有り様は大名に近いとさえいえる。そもそも、武士には土地支配への指向性があったと思われ、それは封建的土地所有が将軍を中心とする上位権力者に集中されていたとしても、武士としての基本的属性である土地支配に対する欲求を、将軍が大名に、大名が給人に満たしてやらねばならなかったのであろう。その知行地については拝領地であるものの、給人のレベルでは特に「家」の連続意識とあいまって特別の意味を有していた。すなわち、厄除け・葬礼・婚姻等の通過儀礼が「家」の儀礼として「在所」=知行地でなされ、武士=給人の立場からすれば「家」の儀礼は知行地でなすものとの共通認識があった。大名家の存続が前提となる給人は、自らの「家」存続のために幕府巡見使にも知行地において主体的に対応する。 2.このような給人領主の「家」の儀礼(行事)に知行地領民が強制的に参加させられ、支配一被支配関係を受容させられる一方、領民側も自らの諸要求の実現を給人の「家」意識を利用しながら貫徹しようとする。すなわち要求を給人が拒否すれば領民が騒動をおこし、それは結果的に給人の「家」の名誉を傷つけることになるとして、かかる事態の回避のため給人に要求の受け入れを突きつける。西南地域に比較した場合、東北地域は同じ地方知行がとられても一揆発生が多いが、このような領主観の相違に基づく民衆のしたたかさが直接的な領主制=地方知行制のもと鮮明になる。
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