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1993 年度 実績報告書

中・近世における近江の村落と信仰(絵系図の基礎的研究)

研究課題

研究課題/領域番号 05610285
研究機関相愛大学

研究代表者

西口 順子  相愛大学, 人文学部, 教授 (80237685)

研究分担者 神田 千里  高知大学, 人文学部, 教授 (30177761)
キーワード仏光寺 / 光明本尊 / 絵系図
研究概要

1.湖北地域は東浅井群野瀬光福寺・湖北町津里光照寺・馬渡光源寺を中心に光明本尊・絵系図,文書の調査・撮影と聞き取り調査を行なった。尚,光源寺は全部撮影できなかったため,後日撮影の許可を得て終了した。
2.現在も盆に「絵系図まいり」を行なっている寺は,光福寺・光源寺のみである。参詣の門徒分布と,中・近世絵系図の肖像の分布とはほぼ一致しているため,分布地域の若干の寺院(旧道場)の調査を行なった。本尊・阿弥陀絵像・太子・七高僧絵像奥書・系図等によって,江戸初期〜中期に道場となり,絵系図所蔵寺院の下寺であったことが確認された。
3.史料調査に並行して,各寺院で門徒分布・葬制・墓制・行事を中心に聞き取り調査を実施した。葬制については,阿弥陀絵像をリンジブツ・オソーブツと称して門徒に貸出する習俗があり,かつて土葬であった。また,盆にハカマイリと称して寺に参る習慣があり,絵系図まいりをハカマイリと呼ぶのと対応する。もとは絵系図所蔵寺院に参っていたのが,道場の形成とともに,各村落の道場に参るようになったと考えられる。
4.湖東地域については,蒲生群竜王町川上光明寺所蔵の絵系図(室町〜江戸初期),及び絵系図記載地名の内7カ寺の調査を行なった。現在,光明寺との関係は希薄であるが,太子・七高僧絵像の奥書及び住職系図等から,江戸初期に寺院化しており,光明寺を中心する道場が形成されたと考えられる。尚,湖北と同様に各寺院で門徒分布・葬制・墓制・行事等の聞き取り調査を行なった。
現在,調査史料の解読・整理中であり,不明な点も多々あるが,引き続き調査・研究を行なうことによって,中・近世仏光寺教団の成立,及び村落・家族とその信仰等,本研究の目的を達成できると考えている。

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公開日: 1995-03-23   更新日: 2016-04-21  

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