本研究は、中性〜近世に滋賀県湖北・湖東地域の真宗仏光寺派寺院で制作された絵系図を網羅的に調査収集し、整理・公表することを目的とする。 湖北地域は、東浅井郡浅井町野瀬光福寺(江戸初期〜現在)、湖北町津里光照寺(室町〜江戸)、湖北町馬渡光源寺(室町〜現在)の絵系図・光明本尊・阿弥陀仏絵像・文書の調査・撮影と聞き取り調査を実施し、絵系図の分類整理・解読を行なった。光福寺は・光源寺の盆行事「ハカマイリ」の参詣の門徒分布と絵系図の地域が一致しているため、分布地域の寺院(旧道場)の調査を行なった。本尊・阿弥陀仏絵像・太子・七高僧絵像奥書・住職系図等により、江戸初期〜中期に道場となり、絵系図所蔵寺院の下寺であったことが確認された。史料調査に平行して、各寺院で門徒分布・葬制・墓制・行事を中心に聞き取り調査を実施した。葬制については、阿弥陀絵像をリンジブツ・オソ-ブツと称して門徒に貸出しする習俗があり、また、盆に「ハカマイリ」と称して寺に参り、墓を持たない地域になっている。光源寺・光福寺のハカマイリ(絵系図参り)と対応するもので、もとは絵系図所蔵寺院に参ったのが、道場の成立とともに村落の道場に参るようになったと思われる。 湖東地域については、蒲生郡竜王町川上光明寺所蔵の絵系図(室町〜江戸)・光明本尊・阿弥陀絵像の調査・撮影と聞き取り調査、絵系図の整理及び解読を行ない、あわせて絵系図記載地域の調査を実施した。いずれも、現在光明寺との関係はないが、湖北地域と同様、江戸初期に道場となっており、光明寺下寺であったものと思われる。
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