本研究の目的は、唐代長安城と洛陽城の城郭構造と都市生活を復元することで、7世紀から9世紀にかけて東アジアの大都市として繁栄し、我が国を含む多くの国々の社会に影響を与えた両都の都市文化の具体像を探ることである。 以上の課題のもとで2年間の研究を行った結果、以下の様な成果を挙げることができた。 (1)唐代長安城と洛陽城の城郭構造の詳細な復原。城郭構造の復原には考古学発掘の成果を文献史料と対照させながら考察してゆく必要がある。その点で外国人研究者は考古学成果の最新情報を得る点で、本国の研究者と比べて不利な点が存在するが、文献調査の徹底と各種の報告書の入手に心がければ、基本的に内外研究者に差違は無い。本研究では従来の研究を再点検し最新の出土資料や遺物に依拠して、望み得る最も信頼し得る城郭構造の復原図を作成してみた。 (2)都市生活の具体像を城郭構造との関連のもとに体示的に考察する。唐代長安・洛陽城の城郭構造の特徴の第一は、城内が「坊」と呼ばれる胸壁を有する小ブロックの居住地区に細分されていることである。本研究では、この「坊」の構造を広くユーラシア大陸の格子型都市プランの一変型として把握し、その中国的特徴を析出することで、唐代両都の都市社会の実態を追求する方法をとった。「坊」と当時の国際主義的・多文化主義的都市文化は密接な対応関係に立ち、多様な人種と文化が混在する当時の社会状況の下で必要とされた城郭構造であり、9世紀から10世紀にかけて、文化の多様性や人種の混在が弱まるにつれて、「坊」も衰退してゆくことを指摘した。 (3)長安と洛陽の比較。中国国都の歴史の上で、唐代の長安と洛陽がどのように位置づけられるのかを、明確にした。
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