ガンダーラ仏教美術は、東西の文化が不思議なほど見事に融和してできあがった事例である。国際化が進む現代の社会現象を考える上でも興味深い。しかし、ガンダーラ美術の歴史的背景についてはまだ謎の部分が多い。今回の研究課題もその解明の一端を担うものである。私がこれまで従事してきたパキスタン、アフガニスタンの仏教遺跡の発掘調査(1960-1989)などにより、ガンダーラ美術の生成、発展に中央アジア出身のクシャン王朝が大きく関与していたことが判明してきた。クシャン民族は中央アジアからガンダーラ(現パキスタン北部)に侵入し、そこを拠点にインドや漢・六朝時代西域に支配力を拡大した。シルクロード・ネットワークの掌握であった。そうした国際環境のなかで、インド仏教文化と初めて接触した中央アジアのクシャン民族が固有の信仰を幾分残存させながら、かれらの宗教、芸術活動としてガンダーラ仏教美術を創造し、石彫をはじめとする多くの文化遺産を今日に残した。研究論文「ガンダーラの瑜伽師と弥勒信仰」(1994年)は、ガンダーラ仏教美術にはじめて登場する弥勒菩薩像とその信仰をとりあげ、未来仏弥勒(ミロク)の思想がクシャン民族本来のゾロアストラ教的救世主思想とインド仏教の混合、とくにヨーガg実践者(瑜伽師)がクシャン人のために仏教にとりこんだ思想であったことを論証する。ついで「ガンダーラ弥勒信仰と隋唐の末法思想」(1995年発表予定)はガンダーラ弥勒信仰が西域、中国社会にどのように及び、どのような影響を与えたかについて論証する。 そのほかの研究成果としては、新出土のガンダーラ彫刻を漢・六朝時代の古訳漢文経典を活用して解釈した論文「ウシがブッダの足を舐める話-新出土のガンダーラ石彫-」(1995年)、建築意匠からガンダーラ美術の特色を考察した論文「ガンダーラ彫刻にみられる建築意匠-肘木と欄楯-」(1994年)を作成した。
|