中国近世社会にあって、南北兩地域間の物資・商品の流通は、「大運河」を軸として展開されてきた。その状況については、大運河各地に設置された清代の内国税関(=常関)の機能状況を通して、ある程度窺うことが出来た。(「清代の常関制度の研究」学位論文 東北大学 平成六年度、未刊)。この縦軸と連結していた東西間の流通状況については、淮河・長江・銭塘江といった諸河川を利用する形態については、設置されていた常関制度を通して考察可能であった。(同上)。しかし、黄河以北の河南〜陝西〜甘粛、河北〜張家口〜蒙古、山西〜殺虎口〜蒙古の諸陸運ルートによる流通状況は、農耕中国社会と周辺遊牧世界との関係という大きな問題と深い関わりがあったはずであるが、これまで十分に研究されてはいない。本報告は、この東西地域間の物資・商品の流通状況と、それが全中国の経済発展にどのように係わっていたかを考察することを目的とした。 清代前期において、東西間の物流最大の契機になったのは、対ジュンガル政策の展開であった。清朝は数次にわたってジュンガル勢力との戦争のために大軍を進発させたが、その際には食糧を始めとする大量の軍需物資を確保し、これを各運営へと運送する必要があった。また、平時にあっても、前線基地や中間基地に配備されていた戦力維持のため、軍需品の補給は不可欠であった。本報告にあっては、康熈中期から乾隆中期にかけての期間、戦時及び平時に必要とされた各種軍需物資や軍事経費の総量、及び西路各運営の「内地化」、北路の軍需物資輸送のシステム等について述べ、投入された銀貨幣が辺境地帯に特需景気をもたらすと共に、清代前期の好景気の一因となったことを論じた。
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