本研究は、18世紀を中心とした近代イギリスに着目して、統治階級と労働民衆との接触・交渉の在り方を分析することを目的とした。その分析過程において、本研究では比較史の観点を導入し、とりわけ古典古代すなわち古代ギリシアおよび古代ローマの司法の実態との秤量を試みた。かかる比較史の試みは、近代イギリスの政治文化と言説とが、その多くを古典古代的な発想に負うところ大であったにかかわらず、これまでの研究においてはほとんど看過されていたからに他ならない。 こうした研究視座のもとに進められた本研究により、あらためて古典古代的発想が近代イギリス社会の在り方に大きな影響を及ぼしていたことを確認することができた。具体的には、まずもってキリスト教の影響が挙げられる。カノン法がイギリスの司法制度に及ぼした影響は夙に指摘されていることである。しかし、本研究が、上述のような研究視座より得ることができた分析結果として最も注目すべき点は、古典古代における陪審制が、法理よりも陪審員(いわゆる民衆)の感情に大きく左右されていたということ、換言すれば、最も縁遠いとも思われる司法の領域においてすら民衆文化の伝統が基底に存し、目に見えない規定力を行使し続けていた点を明らかにできたことである。この史的現象は、近代イギリスに限らず、近現代における世論形成の様態と極めて近似的な関係にあり、本研究はこういった意味で、ひとり歴史学の分野にとどまらず、社会学の分野にもひとつのパースペクティブを提供することが可能であると思われる。
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