1、1870年代以降約40年間に50%を越える人工増加を見たパリでは、低家賃住宅の供給が少なく、民衆のあいだでは居住環境が悪化し社会的不満が高まった。そのため、集合住宅を建設・整備せざるをえないという共通認識が保守的改革派のなかに広まったが、同時に戸建て住宅(住戸の独立、衛生、持ち家、その他)の属性を備えた集合的居住空間の創出が要請された。かくてHBM(廉価住宅)の考え方が生まれ、その普及のためにHBM協会が設立された。実際の建設は様々な組織によって担われたが、今世紀初頭、構造面での要請に応える集合住宅が出現した。 2、こうした集合住宅の構造的特徴を把握するために、ロチルド(ロスチイルド)社会事業団のプラーグ街住宅、ルボディ社会事業団のサイダ街住宅をとり上げて検討した。その結果、想定される居住者等によって間取りに工夫がなされたこと、ひとつのHBM群に多くの住戸タイプを配置するか否かの点で対立があったこと、洗濯場、浴場等の共同施設をどこまで整備するかに関して見解の違いが見られたこと、日照、採光、通風については健康と衛生の面から共通の関心が払われたこと、等々が明らかになった。こうした設計上の工夫が「あらゆる点で満足できる」建物を作りうるといった建築家の自信を生んだ。 3、1910年選挙権者名簿を史料に、上記プラーグ街HBM居住者の社会的職業的構成を算出したが、労働者、職人、下層職員が主体をなしていた。彼らの定着性は高く、共同施設の使用から判断すれば、設計意図にそった生活様式を受け入れつつある印象を受ける。ただし、この点については、住民構成の変遷、中心的階層の生活実態をはじめとして、さらに突き詰めた検討が必要である。
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