1.二十世紀初頭に建設されたパリのHBM(廉価住宅)の住民についての検討を、1926年、1936年の人口統計調査原簿、HBM高等審議会報告書などにもとずいておこなった。その結果、ロチルド事業団やルボディ事業団の集合住宅については、住民の定着度が高い一方で、住民の減少や高齢化が進んだこと、第一次大戦中の家賃支払い猶予やその後の家賃抑制策が事業団の経営を圧迫したこと、ここから民衆に「望ましい」生活様式を促すという本来の目的からの逸脱が事業団側に意識されたこと、こうした事態には全体的な住宅・都市をめぐる諸般の事情や政策が絡んでいたことなどが明らかになった。 2.両大戦間期に建設された田園都市に関して、文献・史料の収集・調査とデータの検討をおこなった。イギリスから導入された田園都市の理念は、フランス固有の状況のゆえに都市・住宅問題の解決の一環という位置づけが与えられた。この時期の住宅建設の実態については不充分な研究状況にあり、パリ地方における公的住宅の建設数と田園都市の住宅数、なかでも田園都市シュレ-ヌの建設過程に焦点を絞って解明に努めた。そこから、公的住宅の増加に果たした1928年ルシャール法の重要性などが明確になった。また、このような住宅供給や居住環境改善への努力と並行して、パリ市内に16カ所の非衛生地区が残存しつづけたことも判明した。重要な検討課題であると考える。 3.欧米都市をめぐる研究状況にふれることで、フランスことにパリの都市化および住宅問題を広い歴史的視野から促えようと努めた。十九世紀フランスでは住宅建設が市場原理に委ねられていたために民衆向け住宅の不足が生じ、世紀末から公的介入が要請されるきっかけとなったこと、二十世紀初頭のパリが世界で最も過密な都市のひとつだったことなどが、なかでも注目すべき点であった。このような他都市との比較については、これからも文献の調査や検討が求められている。
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