1.岡山県上房郡北房町定北古墳の発掘調査を、本研究に先立って実施していたが、本研究課題の中でその整理作業をおこない、平成7年3月に発掘調査報告書『定北古墳』を刊行した。それまでほぼ無名の古墳であったにもかかわらず、7世紀代の典型的な終末期古墳であることを明らかにできた。 2.北房町定東塚・西塚古墳の発掘調査を、他の研究課題のもとに実施しているが、本研究課題では、その出土遺物の整理を中心に研究をおこなった。それまで前方後円墳であると言われていが古墳であったが、方墳が2基連接したものであることあ明らかになり、出土した陶棺や遺物から、やはり7世紀代の終末期古墳であることが明らかになった。なお、この古墳の発掘調査報告書の刊行には数年を要する。 3.終末期古墳に並行する時代の群集落墳の分布調査を実施した。岡山県都窪郡清音村三因古墳群の分布調査に着手し、成果をGIS(地理情報システム)やデータベースと結びつけ、分布図のGISによる表示を、インターネット上で公表した。また、北房町の中津井地区で、古墳の分布調査を実施した。 4.吉備地域における終末期古墳の編年的研究について、北房町の資料にもとづいて、定東塚古墳→定西塚古墳→定北古墳→大谷1号墳、という系列と、その年代を明らかにした。 5.畿内の終末期古墳の編年を再検討し、全体に年代を古くすべきであるという見解を論文で公表した。なお、それに関連して6世紀代の古墳の編年を再検討する必要が生じ、新たな編年の大枠を作成したが、成果の公表にはしばらくの時間を要する。
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