研究概要 |
原始・古代の南西諸島地域に形成された文化の諸様相が、どのような形で受容され変容していったのかを、南九州からの視点で調査した。第一に南西諸島地域と山陰、東海道などの地域との文物交流(南海産のゴホウラ貝・イモガイなどの貝製品や本土系の土器など)がどのように行われていたかについて調査した。東海地方では、愛知県豊橋市水神貝塚にイモガイ製の貝輪が出土している。周辺地域から弥生時代前期の遠賀川系土器が出土していることから、瀬戸内を経由して北九州地域から伝播したものと考えられる。山陰地方では島根県西川津貝塚や猪目洞穴からゴホウラ製貝輪が出土している。西川津貝塚から出土する土器の中に北九州系の土器が多く認められる。弥生時代に出雲地方と北九州地方との交流があったことが認められる。東海地方のイモガイと山陰地方のゴホウラの貝製品は南西諸島地域から直接もたらされたのではなく、まず北九州にもたらされ、その後それぞれの地域に伝播したものと考えられる。第二に縄文時代と弥生時代における南九州と南西諸島との文物交流について調査した。本土からの文物交流の最古の資料は沖縄本島の渡具知東原遺跡出土の約7,000年前の爪形文土器である。これにつづく縄文時代前期の轟式系土器、曽畑式系土器は沖縄諸島・奄美諸島に散見される。南西諸島から北上した最古の文物資料は種子島の下剥峯遺跡から出土した縄文時代前期相当期の室川下層式土器である。これらの研究成果については、1994年5月28日鹿児島短期大学の南日本文化研究所の公開講演会で「九州から見た南島の先史文化」と題して講演し、その講演内容を薩琉文化47号に執筆した。また沖縄考古学会の「南島考古」第14号(1994年12月発行)に「南九州と南島との文物交流について-縄文・弥生時代相当期の文物-」を発表した。
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