(1)南西諸島地域では、沖縄本島・伊江島、奄美大島本島の遺跡を現地調査し、関連の資料収集ならびに文献資料の収集を行った。 (2)南西諸島地域で得られた新知見として、(1)奄美大島宇宿貝塚で、12〜13世紀の火葬蔵骨器が発見されている。南西諸島の葬制は洗骨葬が主流であり、火葬の風習やそれに伴う南島への仏教の伝播を検討するにあたって、火葬骨が納められていた本土系の陶器はその出自を推定する手がかりとなる。 (3)北海道伊達市有珠遺跡出土の南海産の伝播ルートを推定する手がかりとして、弥生時代前期の遠賀川系土器の分布状況を調査した。青森県八戸地方には遠賀川系土器の良好な資料が出土している。また日本海沿岸地域にも遠賀川系土器の分布が散見され、京都府の海岸から放流した漂流ビンが有珠遺跡の近くの木古内町と青森県八戸市に流れ着いた事実を考え合わせると、有珠遺跡出土の南海産貝製品の伝播ルートは対馬海流が最も関わりが深いと推定される。 (4)長野県鎧塚古墳、静岡県松林山古墳、山梨県銚子塚古墳から南海産のスイジガイ貝輪が出土している。いずれも石室の北東の位置に置かれている。装身具ではなく呪具として使用されたことが考えられる。また新知見として、鎧塚古墳からゴホウラガイが出土していることが確認された。 なお、スイジガイについてはまもなく脱稿の予定である。 遠賀川系土器については、遠賀川系土器がそのまま伝播したのではなく、丹後・若狭地域のあたりで変容しさらに東北地方へ伝播していったものと考えている。それを裏付けるための資料が余りにも膨大であることと、丹後・若狭地域の調査がまだ不十分なために、遠賀川系土器についての研究成果は後日の課題としたい。
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