研究概要 |
従来の研究において、「戦乱」あるいは「失火」など主として災害史的側面からその原因が考えられてきたわが国先史・古代の火災住居を、儀礼的な意義をもった「意図的な火災」といった観点から再検討した。 まず、東北・関東地方における縄文時代および弥生・古墳時代の火災住居の報告例を文献によって調査した。調査数は、3,045軒の竪穴住居址である。調査の結果、縄文時代では、青森・秋田地方の中期および後期において約7%の火災住居出現率が確認された。これに対し岩手・宮城・福島・山形および関東各県の中・後期では、いずれも3%以下の出現率であった。このことから、先に筆者が北海道の縄文時代の火災住居出現率が、中期以降上昇することを明らかにしたが、この傾向が、隣接する東北地方北半部にまで及ぶことが明らかになった。おそらく、北海道と同様に、東北地方北半部についても、儀礼的に住居を焼き払うといった風習があったことが予想される。 一方、弥生時代以降については、特に奈良・平安時代の火災住居の出現率についてであるが、検出住居数の多い遺跡において、遺跡ごとの非常におおきな偏りが各県ともにみられることが明らかとなった。その原因については、今後明らかにしていかなければならない興味深い問題である。
|