頁岩原産地近くでの石器群の様相と変遷を明らかにする目的で進められた調査の結果、(1)第11〜第12層の第1文化層から箆状石器、デジュテ(斜軸尖頭器)、鋸歯縁石器、ピエス・エスキーエ、スクレイパ-など、さらに71点の石器群が発見され、合計101点となった。石材は昨年度と変化がなく、地元産の頁岩、流紋岩を主とする。この層から前年出土した両面加工石器の使用痕分析をした結果、乾いた皮の加工に使ったと判明した。この使用痕は、縄文時代の箆状石器やその外の旧石器時代の類似した形の石器の使用痕と共通している(約10万年前) (2)SD2の下の第18層上面から、両面加工石器3点、サイド・スクレイパ-2点など、18点の石器が発見された。石材には、碧玉・玉髄・めのうが多く、頁岩は5点と少ない。特に上層に多い灰色の頁岩は、両面加工石器の1点のみである。剥片には、小型のものが多い。集中地点2箇所。(約14万年前) (3)SD1の下、第24層上面からチョパ-、石核など6点出土した。剥片は、小型のものが多い。石材は、碧玉・玉髄が5点、頁岩が1点である。集中地点1箇所。(約30万年前) 上述の事実は、これまでの宮城県の前期旧石器編年である12万年前以前の第一期(前期旧石器時代)は、碧玉・玉髄などの堅くて緻密な石材による小型石器群で、第二期(中期旧石器時代)以後、頁岩などが入り、大型になるという図式と良く適合し、石器群の変遷は原産地であるか否かに関係なく、前期旧石器時代の文化伝統(人間の意図的選択)によるものだとする仮説を支持しているように思われる。しかし、一方で宮城県の上高森遺跡では、40万年前以前の石器群に、既に頁岩製が優美な両面加工石器やクリーバー状の石器など、定形的でcurated(管理的)な石器が現れており、上述の図式の不偏性に根本から疑問が投げかけられている。石材環境だけでなく、移動の様式や異なった伝統の存在を問題にする必要がある。
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