まず、平城宮・京と遠隔地とで同笵関係にある軒瓦の調査をおこない、(1)近江膳所廃寺南(保良宮推定地)と平城宮6235B・6691B、6763A、(2)河内国分寺と平城薬師寺6663H、(3)丹波国分寺と唐招堤寺6236D-6725A、(4)伊予国分寺と大安寺6304D、(5)(6)下野薬師寺・播磨溝口廃寺と大和興福寺6307J-6682E、(7)壱岐嶋分寺と平城宮6284A、(8)豊前椿市廃寺と平城宮6284F、(9)伊勢御麻薗廃寺と平城宮6235B、(10)伊勢広瀬長者屋敷と平城宮6719A、(11)河内新堂廃寺と興福寺・法華寺下層6667A・6671Aの同笵を確認した。以上のような同笵関係の生じる理由は大きく三つの場合に分けられる。第1に、瓦工人の移動で、笵型を持って移動したもの(実例(3)(5)(6)など)。第2に、笵型のみの移動(実例(7)(8)(9)(10)など)。第3に、瓦自体が移動したもの(藤原宮の瓦について後述)。また同笵関係が生じる理由について個々で分析を加えた。 次に平城宮式軒瓦を分類し、A型(同笵)、B型(以下異笵:現物照合によってはじめて異笵と判明するほど酷似する)、C型(型式番号だけでなく種まで確定できる)、D型(種の類似点まで確定できない)、E型(どの瓦をイメージしたかが推定できる)、F型(軒丸瓦か軒平瓦の一方が、全く異なる文様構成をもつ)に分けた。B型が信濃、C型が美作、E型が上総、F型が駿河(それぞれ国分寺出土例)である。 また、藤原宮瓦と同笵関係にある近江・和泉・讃岐・淡路の瓦の再整理を行ない、それぞれの生産地から藤原宮へ瓦を運んでいることを明らかにした。また、讃岐東部の資料(願興寺出土)と山城の資料(大宅廃寺)が藤原宮瓦と同笵であることを新たに発見した。また、藤原宮式・老司式軒平瓦の出現と共に、大和・筑前・肥後・尾張の地において、従来の板作り軒平瓦から紐作り軒平瓦に突然一斉に変化することを明らかにした。
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