弥生社会の年齢階梯を埋葬のあり方で考えるためには、まず基礎資料の収集の徹底が第一である。そこで奈良国立文化財研究所が収蔵する報告書等の検索をすべてに優先させた。関東地方から中国・四国地方におよぶ地域において、【.encircled1.】土器棺・木棺、【.encircled2.】人骨の遺存する墓、【.encircled3.】副葬品のある墓、【.encircled4.】武器を共伴する墓、【.encircled5.】墓一般、【.encircled6.】墓に限らず装身具一般、の各項目について検索を終了した。そしてそれぞれ遺跡名、報告書名、分類番号、該当項目、解説ページ、実測図、写真図版番号を調べた。こうして私が以前に資料化していたものの他に、新たに茨城県から山口県までの32都府県で約570遺跡を加えることができた。さらにこのうちの幾つかについては、実際に遺物を観察した。 1994年3月現在、まだ資料の整理を完了していないので、結論はだせない。が、しかし中期後半には、この地域で、かなりの斉一性が認められる。そしてこれは、基本的に前期・中期前半の西日本に広まったあり方にあたる。つまり胎・乳幼児は土器棺、小児は小型木棺、若年以上は大型木棺に葬る。土器棺には、集落内埋葬と集落外墓地埋葬とで、月齢に差がある。ところで埋葬の仕方は棺に収納したまま墓地まで運んで埋めるのではなく、棺はすべて墓地で組み立てるのが大原則である。土器棺にしても入れ口を遺体の大きさに合わせて打ち欠くのは、墓地においてである。さてこの年齢差に対応した埋葬法の違いを、石〓や剣を打ち込まれた墓葬についてみると、すべて大型木棺墓に限られている。これは弥生時代の戦闘が、集落外で行われたこと、さらに戦士には年齢に重大な制約があったことを示しているとみることができる。すなわち考古学的に弥生社会の年齢階梯制を考えることが可能であることがわかった。
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