南宋前期に成立した志怪小説集『夷堅志』を中心とした、宋代の説話と伝承の分析を通じて、宋代に新たに勃興下級士大夫階や商工階層、富裕地主階層などが、どのように文学の成立にかかわっていったのかを、追求してみた。編纂者の洪邁は、僧侶、野人、工匠、巫女、商人などの士大夫以外の人々から、実に多くの説話記事を入手した。全部で四百二十巻にもおよんだ『夷堅志』の中でも、初期の甲志二十巻や乙志二十巻は、洪邁の父親洪皓をはじめとする洪氏一族からの記事入手がかなりの比重を占めていることが、今回の研究で判明した。また紹興末から隆興、乾道初期にかけての洪邁の官僚としての経歴にほぼ対応するようなかたちで、おおくの彼の周囲の士人たちが説話記事を提供していることも分かった。虞允文や陳俊卿などの、政治的には反稾桧で改革派に属する人々との意外な人脈も明らかになった。また科挙の試験場である貢院が、科挙にまつわる説話や風評の一つの「場」であることも、『夷堅志』の中の記事と編纂者洪邁の経歴とを照合することで推定できたと思われる。南宋に江南地方で発達した南戯とよばれる地方演劇においても、科挙合格はおおきな主題として作品中にとりいれられ、士人のみならず、科挙受験の予備軍である商工階層や富俗地主などの間でも、大いにもてはやされた。それら南戯に題材を提供したのは、宋代の説話や伝承であり、各地の口碑を分析することで、それらがどのような経路をへて、文学作品に昇華されていったのかをたどることができる。今回の研究により、その一端を解明することができたと思われる。
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