1.ガブラー版『ユリシーズ』の第11挿話(「セイレーン」)にかんして、『ユリシーズ』各版のテクストと比較したうえで、河出書房版を参照しながら日本語訳をおこなった。その際、読解のうえで有用と思われるデータを注釈として蓄積した。 2.日本ジェイムズ・ジョイス学会に所属する研究者(とくに結城英雄氏)との意見交換をしながら、第14挿話(「太陽神の牛」)から第18挿話(「ペネロペイア」)までの各挿話についてテクストを検討し、読解のうえで有用と思われるデータを注釈として蓄積した。 3.今年度も作業をしながら次のような印象をつよくもった。たしかにガブラー版はそれまでのどの版よりもテクストとしての妥当性を主張しうる版である。しかしながら、ジョン・キッドの「ユリシーズのスキャンダル」という論文以後、その妥当性はかなり揺らいでいると見なければならない。たとえ反ガブラー派の批評家たちが問題にする箇所のほとんど--あえて97%以上と言っておこう--が、コンマかセミコロンか、あるいは大文字か小文字かといった、日本語になおした場合にはほとんど表面に浮かびあがってこない細部であるにしても、残る3%のなかにはわれわれにとってもひじょうに重要と思われる論点がふくまれている。そのようななかでわれわれにとって重要なのは、いずれの版も絶対化することなく、テクストの妥当性を相対的に判断していく態度であろう。
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