昨年度の研究は、とりわけランボ-の詩と詩論の「歴史性」を中心に行われたが、本年度は、昨年度の「歴史性」の視点の拡張と、「現代性」という新たな視点の設定という、二方向から研究をすすめた。 まず前者の視点からは、パリコミューン期の『アルデンヌ通信』のさらなる探索をとおして、ランボ-の詩や詩論と密接な関係にある諸概念(堕者・反徒・酩酊等々)が一般人に対する体制からのプロパガンダに用いられていることを明らかにした。その結果、ランボ-の詩や詩論をこういったプロパガンダに対する逆の立場(たとえばコミューンの敗者たちの閉塞状況の理解者としての立場)からの反応ととらえることが可能になった。 また後者の視点からは、フランスのみならず異邦の地(今回は日本および韓国)において、現代につながる歴史のなかでランボ-の詩と詩論がとりわけ閉塞・抑圧状況下の自由への希求として受容されていること、そしてその意味で現代の社会にもランボ-はいぜん連綿と脈打っていることを、明らかにした。 かくして、ランボ-の詩と詩論の「歴史性」と「現代性」は、ある特定の状況における反応として見た場合おなじ類の問題域(閉塞・抑圧とそれに対する反応)を共有していることになるが、このような視点からすれば、ランボ-の詩と詩論はたんに19世紀後半フランスの一詩人の問題としてではなく、さらに歴史をとおして現代の我々にまで通じる問題として扱うべきであることが、研究の過程で強く感じられた。従来のランボ-研究は(研究者のフランス人であるなしにかかわらず)えてしてフランスの一詩人研究の枠内に閉じ込もりがちであったが、そういった枠を超えて、フランス国外の研究者も自身の問題としてランボ-を問うという新たな観点をもつべきである。そして日本の地でランボ-を問う者として、このような新たな観点を得ることができたのは、本研究の当初の予想を上回る、望外の成果であった。
|