1.シラーの『ヴイルヘルム・テル』は明治期だけでも7点の部分訳ないしは翻訳が明らかになっている。ところが当時の翻訳では、作品のタイトルすらその訳語が一定していない。原作は主人公の名前がそのまま作品名となっているので、現代の訳のようにそのまま“Wihelm Tell"の発音に似せて日本語化すれば済むはずだが、実際には作品の内容やテーマを示唆する標題に変更されている。それは、人名そのものが、当時の読者には耳なれていなかったためにと考えられ、作品タイトルの翻訳だけをみても、そこには翻訳の類型と日本の文化的西洋化との相互干渉作用の一端が窺われる。また、佐藤芝峰はこの作品を原作と同じ戯曲形式によって初めて日本語に完訳した。ここでは、場面が日本に移され、登場人物の名前も日本化されている。この佐藤芝峰訳が、出版されたのは1905年で『ヴイルヘルム・テル』については、すでにいくつもの翻訳が先行していた。しかも、佐藤芝峰訳の序文で大町桂月は、この作品が「われ曾て学課として読みたる書」だと記していおり、外国語の授業テキストとして『ヴイルヘルム・テル』が用いられていたらしい。テル伝説がある程度まで有名になっていいたからこそ、西洋の事情に十分には通じていないもっと広い層の読者を期待して、佐藤芝峰訳のように極端に日本化した翻訳が登場したと思われる。2.グルム童話の和訳については、『おおかみと七ひきのこやぎ』が明治20年(呉文聰訳)と22年(上田萬年訳)とに相次いで挿絵入りで和訳された点に着目し、当時の日本には存在もせず、また知られてもいなかた事象の日本語化と挿絵による視覚化の様相を考察。呉文聰訳では原書の挿絵をまねた西洋風のスタイルをめざしつつも、不十分な模倣となっているのに対し、上田萬年訳では、挿絵が完全に日本化されており、その日本化にあわせて物語の内容そのものも部分的に変更されている点が興味深い。
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