本研究の最終目的は、19世紀後半から20世紀前半にかけてイギリスを先頭とする欧米諸国がアジア各地に獲得した植民地や居留地などに建てられた西洋劇場の全容を明らかにすることである。 平成6年度においては、前年度に引き続き、日本の3つの西洋劇場、すなわち横浜ゲーテ座(The Gaiety Theatre)、神戸体育館劇場(The Gymnasium Theatre)、長崎パブリック・ホール(The Nagasaki Public Hall)のうち、特に神戸と長崎の実態解明の作業を進めると共に、中国・上海のThe Lyceum Theatreの実態調査を開始し、その全容解明の切っ掛けを掴む予定であった。 そのために、主として国立国会図書館、外務省史料館、横浜開港資料館、神奈川県公文書館、神戸市立博物館、神戸市中央図書館、神戸市文書館、兵庫県文書館、長崎県図書館等の所蔵資料を調査し、日本の3西洋劇場についてはかなりの基礎的資料を入手することが出来た。 資料調査の過程で、神戸で刊行されていた英字新聞 The Japan Chronicleが1900年代から廃刊になる1940年代初頭まではほぼ完全に保存されていることが分かったのは大きな収穫であった。劇場そのものが戦災で焼失し、そのため一次資料が殆ど残されていない神戸体育館劇場については、この英字新聞が貴重は情報源となるからである。そこで、平成6年度は、この新聞を重点的に調査することにした。結果は、予想通り、今まで全くの歴史の彼方に埋もれていたこの劇場の姿が次第に鮮明になってきた。ただ、この、The Japan Chronicleは、10頁だての日刊新聞であるため、調査にはかなりの時間が必要であり、今年度は1937年までで終わらざるを得なかった。 The Japan Chronicleの調査に予想外の時間を取られたため、上海の The Lyceum Theatreの調査に取り掛かることは次年度の課題となった。
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