本研究の最終目的は、19世紀後半から20世紀前半にかけてイギリスを先頭とする欧米諸国がアジア各地に獲得した植民地や居留地などに建てられた西洋劇場の全容を明らかにすることである。 今回は、研究対象を日本の3つの西洋劇場、すなわち横浜ゲーテ座(The Gaiety Theatre)、神戸体育館劇場(The Gymnasium Theatre)、長崎パブリック・ホール(The Nagasaki Public Hall)、そして中国の上海にあったライシアム劇場(The Lyceum Theatre)においた。但し、横浜ゲーテ座についてはすでに一応の成果を得られているので(『横浜ゲーテ座-明治・大正の西洋劇場-第2版』[岩崎博物館、1986年])、神戸体育館劇場と長崎パブリック・ホール、ライシアム劇場の実態解明を中心的課題とし、そして横浜ゲーテ座との比較・対照によりそれぞれ劇場の特色、意義を解明しようとした。 国立国会図書館、外務省史料館、横浜開港資料館、神奈川県公文書館、神戸市立博物館、神戸市中央図書館、神戸市文書館、兵庫県文書館、長崎県図書館などの所蔵資料を調査することにより、これら西洋劇場の実態を明らかにする努力を続けた。その結果、神戸体育館劇場について特に顕著な成果をあげることが出来た。神戸で刊行されていた英字新聞The Japan Chronicleを詳しく調査することによって1900年代から1920年代までの催物の内容がほぼ判明し、また貴重な写真資料をいくつか入手できたからである。新たに判明した神戸の催物リストを横浜そして長崎のそれと比較してみると、これら3劇場の共通性・同質性が益々はっきりしてくる。そして、そのことは3劇場を共通の視点から捉えるようとする本研究の基本的立場を支持するものと思われる。 現存するThe Japan Chronicleは膨大な量にのぼり、その調査に意外に時間を取られ、上海のライシアム劇場の実態解明は予定の2年の間には出来なかった。これは今後の課題としたい。
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