今年度は、主として政治的、外交的側面から東ドイツとユーゴスラヴィアの連邦の再編について検討してきた。その手順としては、第2次世界大戦後のいわゆるソ連衛星圏の成立に至る史的考察から始め、さらに今日の東欧圏の崩壊に至る過程とその諸要因について、ゴルバチョフのペレストロイカが東欧に与えた影響とその受容について論じてきた。その結果として、中間的報告であるが、社会主義と連邦制という二つの枠で民族生活を封じ込めてきたユーゴスラヴィア、また一党支配と厳しい社会統制の中で、民族の分断を余儀なくされてきた東ドイツの場合の比較について一定の理解の枠組の提示に至った。 社会主義の崩壊という、規制の価値観の消減の中で、民衆は西欧的市民社会に浸透してきた。自由、平等、人権といった価値観を唱えはしたが、自らの政治生活の中で具体化し、内面化することができなかったといえる。このような状況の中で、彼らはいきおい「民族」という枠に一気に吸収されることになり、民族主義の新たな動きがユーゴ、東ドイツに限らず東欧諸国で一般化したのである。 また、連邦制の位置づけについては好対照のスタンスを両国はとることになったのであるが、多民族国家統合の手段としての連邦と単一民族の平等性を敷延しようとする東ドイツでは、連邦の役割そしてその政治的意味は大いに異なり、周知のような、ユーゴにおける、連邦の崩壊と東ドイツの連邦構成国への移行という動きがとられたのである。 総合的にみると、内戦と国際社会の介入を招いたユーゴと、混乱を脱し、国家体制としてのまとまりを持ちながらも内的な東西ドイツのしこりをはらむ旧東ドイツについて、政治、外交からの比較が一定程度達成された。
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