本研究は、近代中国で最も優秀な成績を収めた南通大生紗廠を対象とし、近代綿紡織業の技術移転について、2年計画で検討することを目的とする。まず初年度には、この大生の創業者である張謇(チョウケン1853-1926年)という企業家について、中国近代経営史上に彼の位置づけを行うために、近代中国の企業家7人(そのうち紡績業企業家が4人)と比較検討し、張謇の「紳商型」に対する「商人型」、「買辧型」、「官僚型」、「専門経営者型」などの企業家の類型化を試みた。次に中国で最近出版された大生紗廠の各年営業成績報告書(1899年〜1923年)の分析を開始したが、その過程において当時の中国社会では、機械という新技術は勿論のこと、工場制度というものもまた未経験の事態であったことに気がついた。それで中国における近代的な工場制度の意味を再検討する必要を感じ、大生創業時の「廠約」(工場管理規則)を翻訳し、その形式面と内容面を具体的に考察していくつかの興味深い点、とくに当時の技術移転のチャネルには先進国イギリスからの機械の輸入、先進国技術者の直接的指導、上海における先発紡績会社での経験の三つがあり、中でも上海同業者の情報が貴重であったようだが、情報を受ける側の経営主体の資質・判断力の方がより重要であったこと、大生の「廠約」全十八条を子細に点検すると、「経営ナショナリズム」の理念の発露、「紳董」(紳士理事)の指導力、経営職能別階層の萌芽的形成、伝統的な銀両と外来の銀円の二重貨幣制度の採用、などの特徴が見られること、の二点を見出すことができた。
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