本研究の目的は、三菱重工の本社・長崎造船所・神戸造船所、三菱総合研究所、三菱経済研究所および菱重などで会計史料を収集し、若干名の長崎造船所の元経理部長にインタビューを行い、リトルトンの原価計算生成の3段階モデル-(1)「商業簿記」段階、(2)「工業簿記」段階、(3)「原価計算」段階-基づいて、大正期の長崎造船所の原価計算の生成に至る過程を跡付けることにある。得られた研究成果は要約すると、下記の通りである。 (1)明治33年以後、長崎造船所では工事原価は素価(材料費と労務費)からなり、割掛費(製造間接費)は期間費用として処理される「工業簿記」段階にあった。大正元年に、完成工事への割掛費配賦分は期間費用のままであったが、未完成工事への割掛費配賦分は「繰越割掛費勘定」へ振り替えられ、貸借対照表では未完成工事の素価を繰り越す「作業原費勘定」とは区別された。 (2)大正2年度には、完成工事割掛費配賦分が「完成工事作業費勘定」の素価に加算され、製品原価として認められた。割掛費のうち一般諸掛費の鋳物場や亜鉛鍍場などの独立工場への配賦が始まった。 (3)大正3年度に、独立工場に配賦された一般諸掛費も、その未完成工事割掛費配賦分が「繰越割掛費勘定」へ振り替えられるようになった。 (4)割掛費は賃金によって配賦されてきたが、大正4年度に機械工場で機械時間法による割掛費配賦が試行され、大正6年度より実施された。 (5)大正7年度に、貸借対照表から「作業原費勘定」と「繰越割掛費勘定」が消え、「半成工事勘定」で未完成工事の素価と割掛費配賦分がともに繰り越され、「原価計算」段階に到達した。したがって、長崎造船所は大正元年から大正6年までは「工業簿記」段階から「原価計算」段階に至る過渡期にあったと特徴付けることができる。
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