研究概要 |
施設の配置計画では,施設の機能やサービス内容に合わせて,受益範囲を設定するのが基本的な手法である。ところが,既存の各種行政圏域は,施設の受益範囲設定に大きな影響力を持っている。この研究は,このような各種行政圏域が,歴史的にみてどのような経緯で成立してきたか,各種施設やサービスの受益範囲とどのような整合性を持っているかを明らかにし,今後の地域施設計画での圏域設定手法に新しい知見を与えようとしたものである。 宮崎県を研究の対象地域とした本年度も,江戸時代以前まで遡り当時の行政区域である郡郷制の成立変遷過程を明らかにするとともに,明治22年の市町村制の施行・昭和28年の町村合併促進法に伴う市町村離散合併の経緯を分析した。この結果宮崎県では,江戸時代は天領を含め7ヶ領に分割統治され,明治4年6県に分離独立し,同6年に宮崎県として統合され,同9年に鹿児島県に併合され、同16年にやっと現在の県域が確定しこの時は9郡393町村に分かれていた。人口が約1/2面積が2倍の鹿児島県で21郡115市町村であったのに比べると小村分立の状況が分かる。その後町村合併が進み,明治22年9郡100町村・昭和31年59市町村・平成4年現在44市町村に集約されている。この集約化の過程で,現在の市は江戸時代の領の一部として復活した形跡が見られる。また,旧薩摩藩域では現在の町村の44%で昔の郷圏域と地名が存続している。 一方,衛生・医療福祉・保安防災・教育・流通・通信などの施設・サービス体系に対応した生活圏域と,現在の市郡または市町村の圏域との整合性を検討した結果,それぞれの生活圏域は各市町村圏域ごとに構成される割合が鹿児島県の場合よりかなり高いことが分かった。宮崎県の各市町村は人口は少ないものの,面積が広いため小さな市町村圏域が生活圏域と重合するのであろう。
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