研究概要 |
本研究は、住民に一番身辺な行政圏域である市町村の区画割りの経緯を歴史的資料に尋ね、行政圏域の成立過程と生活圏域との重なり度合いを明らかにし、施設やサービスの圏域設定の際に行政圏域が担う役割を体系別に整理し、行政圏域と施設の計画圏域が持っている整合性を分析することにより、地域施設計画における圏域設定のための知見を得ようとしたものである。 調査対象とした鹿児島県・宮崎県・大分県の3県において、行政区画の歴史的変遷を概観すると、明治の市制町村制制定や戦後の市町村合併促進法制定においても、鹿児島県は独自の意見を押し通し市町村を区画していった。宮崎県は明治期に行政の効率を図る戸長役場制を重視して大規模の市町村を形成したため、戦後の市町村合併時には大幅な合併を避けることが可能であった。これに対し大分県は、明治期に町村の人口規模基準を優先して小規模市町村を設けたため、戦後の市町村合併時には強引な合併を余儀なくされた。いずれにしても、大分県は時の政府案に従い過ぎて、翻弄されてしまったといえよう。 各種施設の利用圏やサービスの受益範囲を施設圏域として選定し、鹿児島県・宮崎県・大分県において、各種施設・サービス項目ごとに施設圏域調査を行った結果、鹿児島県は34施設項目およびそれら施設項目の総圏域数490圏域、同じく宮崎県は36項目/387圏域、大分県は34項目/419圏域が抽出できた。これらをもとに、市町村や旧郡といった行政圏域によって構成されている施設圏域の形態を、8タイプ(A,B,C,D,E,F,G,H)に類型した。3県ともにE型(旧郡再統一型)に比べてD型(市分離旧郡型)に属する施設圏域、またG型(旧郡合併型)に比べてF型(市分離旧郡合併型)に属する施設圏域が少ない。
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