研究概要 |
1.基本資料の日刊誌「南信」の明治期(35年〜45年),大正期(〜8年)までの閲覧(複写不許可)と重要関連記事のピック・アップとファイルを完了した。 2.業界誌「組合製糸研究」(240ヶ月分)からの重要記事のファイリングを完了した。 3.周辺旧養蚕地帯での経営資料の探訪を行い,不充分ながらも一定の成果を収めた。 4.以上の調査活動を通じ,以下の見通し(仮説)を得た。 伊那地方組合製糸は大正中期に組合数としての全盛を迎えながらも,以後第1次の操短問題を機に営業製糸との対立が激化し,生糸同業組合からの離脱を共通課題とする統一機関の設立を開始した。しかし,特に北部組合の動揺に見られるように,営業製糸との対立は組合製糸の結束を大きくゆがめ,その後の再編にも一層の動揺を与えていた。
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