1.ロマン派の若者の異装が、ひとつに歴史物の芝居の舞台衣装に影響されたものであったことは前年度に明らかにしたが、画家の場合には過去の絵画作品に影響されることが多いことが明らかになった。画家はル-ヴル美術館や王立図書館版画室で、巨匠の作品を模写しながら習練を積んでいるから、そこに異装のヒントを見付けることは自然であるが、更に彼らは歴史上の服飾に最も詳しい専門家として舞台衣裳の創作に携わっていた。歴史の中の服飾を知る手掛りは専ら絵画作品に求められたわけだが、絵画を手本にすることはカ-ニヴァルの仮装服の場合も同様であった。異装・仮装・舞台衣裳のデザインが絵画作品にどのように取材されたかを、特に1833年のデュマ家の仮装舞踏会における仮装服の場合と、1832年のユゴ-の戯曲『王は戯れる』の上演におけるオ-ギュスト・ド・シャチヨン制作の衣裳の場合とによって明らかにした。 2.異装置の流行する同じ頃に、歴史の服装を表した版画集の刊行が多いことは知られているが、これらは服飾史に造詣の深い画家が、異装・仮装・舞台衣裳のデザインに供するよう刊行したものであり、この種の著作が世紀後半に生まれる服飾史という学門の母体となることを明らからかにした。歴史の中の服飾に対する関心は演劇や風俗の世界に限るのではなく、小説でも詳細な服飾描写が同様に絵画に取材されて挟まれることが好まれ、また歴史学においても服飾の調査が歴史の理解に不可欠であることが意識されている。ロマン派の活動が中世文明の発掘に貢献したことは、今更いうまでもないが、実は服飾文化にかなりの比重を置いた歴史の発掘であったこと、服飾史という学問の誕生がまさしくロマン主義の果実であったことが理解された。
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