本研究は、平成5年度に明らかにした、幕末から明治期にかけてわが国にもたらされたフランス体育(gymnastique)の受容経過やその内容の検討を踏まえて、その後それがどのような人々や組織によって研究され、応用されていったのかを明らかにした。 即ち個人的なレベルでは、横浜での仏式伝習に参加した人々が沼津藩や弘前藩などに持ち帰って、先進的ないくつかの諸藩に影響を与えた。 さらに当時創設された日本陸軍の最大拠点であった大阪兵学寮においては組織的な研究がなされていった。この陸軍におけるフランス体育研究成果は当時の文部省管轄下の体育研究成果をはるかに凌ぐものであり、文部省の体操にも一定の影響を与えた。 後、明治11年に文部省が直轄の体操伝習所を設立して、いわばアメリカ伝来の体育(普通体操)を採用し、学校体育からフランス体育が駆逐されるかに見えたが、明治10年代末に普通体操と並んで兵式体操が導入されるに及んで、それまで陸軍において継続的に研究されてきたフランス体育が器械体操の導入という形で学校体育に採用されていった。したがって、わが国の近代体育の形成にはフランス体育の大きな影響を看取することができる。 平成6年度はこのような研究成果をさらに実証的に補強すべく資料収集と調査分析を行い、さらに言説化を行なって研究成果の公表のための作業と一部発表を行なった。なお、体育学研究38巻に搭載された本研究の一部は、平成6年度日本体育学会学会賞(最優秀論文)を受賞した。
|