本年度は、本学の前身である私立東京女子体操音楽学校の卒業生のうち、戦前女子体育教師を勤めていた者に対して、郵送による質問紙調査を中心に研究を進めた。高齢者が多く回答不能の場合があったのが残念であるが、回収率52%で、大正12年3月以降の全年度の卒業生から回答を得ることができた。最高齢者は現在90歳である。 統計処理はほぼ終了し、自由記述による回答を整理している。現在までに明らかになったことから数点を、以下に記す。体操科のみを担当した者は約40%、体操科と音楽科を担当した者は約37%、約20%は他の教科も担当していた。約88%の者が教師生活の最後まで体操科を担当した。教職年数は平均で26年、体育教師年数は平均で23年であり、約半数の者は教科主任の経験があり、次いで、寮監や生活指導主任の経験がある者が多かった。約91%が高等女学校に勤務し、最も多くの者は3校を、次いで2校か4校を経験している。勤務校の体育教師数は年度、学校によりかなり差がみられるが、勤務校の体育教師の約半数が女教師でその数は平均で1.5人以下であった。男女の体育教師が分担して女生徒を指導したため、女子体育教師の担当はダンスに片寄ることになり、自分の担当時間の全てがダンスの授業であったものは昭和初期で62%であった。全体では8割から9割の者が担当時間の半分以上の時間、ダンスを教えていた。戦前には「女子体育は女子の手で」という、女生徒の体育は全て女教師が教えるべきであるという理想があった。しかし、ダンスのみにそれが定着してしまい、女教師は競技等は男子に任せてしまい「男女の特性を生かしダンスは女子が、競技は男子が」と考える者が今回の調査でも多く、全て女子が担当するべきと考える者は15%に過ぎず、「女子体育は女子の手で」は定着することができなかった。 授業の実態、教師としての苦労や思い出などの記述を整理中であり、来年度は面接調査等を実施しまとめる。
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