浅海や湖沼域の水界とその延長の陸界をひとつのシステムとみなして、農・漁その他の生業との兼業者が、自然認識や技術体系、社会構造や文化諸層で連続性、共時性をもちつつ、分化していったかという仮説のもとで、以下のフィールドで現地調査を実施した。 1)沖縄県島尻郡伊平屋村島尻・田名:さんご礁潮間帯と島中央部の水田地帯 2)長崎県壱岐郡芦辺町八幡浦・諸吉触:海女採取漁業とそれに隣接する純農村 3)滋賀県高島郡勝野・近江八幡市沖島:えり漁の既存地と地曳網・しじみ曳が中心で、えり漁業が後発の地 4)佐賀県諸富町・川副町:有明海沿岸の海苔養殖・干潟漁業とクリーク灌漑の地 5)兵庫県赤穂市・香川県坂出市:もと塩田 水界の環境利用は浅海域の場合、農地の延長と認識され、農民による農業的な漁法(えり漁や石干見)を発達させ、海域では太陰暦がなお生活の中心となっている。漁業を生業としない伊平屋島においても、糸満漁師から学んだ追込み漁を潮間帯での「おかずとり」的な漁撈に応用しているが、生業へは進化せず、山当てなどの漁民的定位術は用いられなかった。農と漁が集落として歴史的にも分離している壱岐の場合は、両者をつなげる共通原理は見いだし得ず、なお社会的にも隔離的な諸層が発見できた。干潟におけるクリーク灌漑は潮の干満を巧みに利用したものであり、漁撈技術にもその延長的な性格がある。塩田の場合、干潟利用の商品経済的発展ととらえられるが、土地所有は地主的であり、そこでの労働力である浜子にはすでに浅海域での在来的技術は社会的には継承されていない。
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