平成5年度では、愛媛県銅山川疏水を対象として、分水事業の実現条件と地域対応について調査した。 藩政時代からの愛媛県(吉野川上流部・銅山川)と徳島県(吉野川下流部)との分水をめぐる地域対立は、外部からの技術・行政援助と財政資金の導入による多目的ダム(柳瀬ダム、1953年)建設を契機として、徳島県が洪水や利水で困らないように、水利調整を行うことによって分水の妥結が可能となった。この場合、ダム建設費は国及び愛媛県が主として負担し、砂漠的な水利事情であった宇摩平野の農業側の負担は、紙パルプ工業が身代り負担を行ったことがわかった。ダム建設に伴う水没補償については、一般補償のほかに生活立直し補償が加えられたことを、生活再建措置として高く評価した。 分水の結果、宇摩平野における旱魃による水稲の被害が回避されたほか、発電余水を利用した伊予三島・川之江市域の紙・パルプ工業の生産拡大をもたらした。ただ、それと同時に、大気汚染・水質汚濁など地域環境の悪化をもたらしたことも否めない。平成6年では、紀ノ川の奈良分水・大阪分水の実態とも比較分析し、大規模分水の基本的な考え方を確立することにしたい。
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