本研究の目的は、フランス近代における親の教育権と近代教育を関係づける法論理及びその歴史的構造を明らかにすることであった。具体的には、第1に、フランス近代の親子関係を法制化する論理と内容を整理したのち、第2に、1880年代になって成立した義務教育の制度化に際して、親の監護教育権の法論理とその論理に基づく教育制度の関係構造を解明しようとした。 1.M.クルベリエ(1979)や田中通裕(1993)などの研究及びP.A.Fenet(1968)編の資料集をもとにしながら、親子関係が、ナポレオン民法典(1804年)の成立過程においてどのように法制化されることになったのかを整理した。同時に、革命期において、公教育と親権との関係がどのように関係づけられていたのかを検討した。結論的に述べれば、(1)民法典は「親権」概念を政治的な妥協の産物として登場させ、その核心を親の懲戒権に置いたこと、(2)民法草案にあった公教育との関連も失われたことなどが明確になった。 2.義務教育の制度化をめぐる1880年代の論議を検討しながら、(1)「義務教育」を親の監護教育権の内容として含むか否かで鋭い対決があった事情、(2)児童労働法(1841年成立、1874年改正)の「教育条項」などでは、親権に一定の制限を加える法原理が既に明示されていたこと、(2)その一定の制限を明示する概念として「子どもの権利」概念が登場していること、などが明らかになった。 今後の課題として、親権と公教育と子どもの権利の3者の関係構造の歴史的解明をより進めるとともに、1970年代以降フランスの家族法の新展開、1989年「新教育基本法」の成立という動向をふまえて、現代的な3者の関係構造の現代的なあり方を究明していく必要があると考えている。
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