研究概要 |
1.近畿地方出土の東日本系土器を中心に集成・分析したところ、(1)前期には近畿地方全域に東日本からの搬入土器がみられ、かつ関東・東北地方系の存在などかなり遠方との交渉が知られた。(2)中期以降になると搬入土器は伊勢湾沿岸地方からにほぼ限定され,その出土地も近畿地万でも東よりの地域に偏る傾向が認められた。但し大和地域の一部の拠点集落では、中期においても関東地方からの搬入土器の出土がみられ、やや特異な傾向を示していた。(3)中期後葉以降は東方からの搬入遺物は皆無となり、後期後葉以降にならないと再び出現しない、という諸点が判明した。 2.伊勢湾以東の東日本においても同様に西日本系土器の出土を検討し、(1)前期段階の事例を除くと土器の搬入は皆無であった。(2)しかし、伊勢湾地方の中期中葉期の壷形土器が、房総半島・福井県域を東限として広範囲に搬出されていた。(3)その時期には関東地方から伊勢湾地方に搬入されている土器も多くみられ、東日本全体で類似の器形・文様構成をとっていた、という諸点が判明した。 3.以上より、弥生時代前期には東西日本全域の広範な交流の存在が示唆され、また中期中葉期には東日本という範囲での交流の活発化が知られた。これ以後後期後葉に至るまでは東西日本間に顕著な交流の証左が認められないことから、前期段階のものは弥生文化伝播にともなう汎日本的な現象として、中期中葉期のものは伝播以後の弥生文化定着過程における地方色形成に伴うものと判断される。本年度は土器の移動状況のみに焦点を絞ったため、石器・木器・青銅器生産や墓制にかかわる現象かかわる事象も含めた社会全体の動態の検討は、今後の課題として残された。
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