平成4年度までの資料収集に基づき、論文「1930年代の羊毛工業と貿易統制」を執筆した。このなかで南アフリカ連邦共和国およびオーストラリアとの通商問題の解決方法として羊毛輸入統制が行われたが、国内の輸出産業と輸入関連産業との利害対立が激化し、1936年末の貿易収支大幅赤字により拡大均衡目的の貿易統制は破綻し、以後日満支ブロック形成、アウタルキー的原料国策が唯一の選択肢となったということを明らかにした。本年度はこの延長上に外務省所轄の通商審議委員会資料、輸出組合資料、各国為替管理・輸入制限関係資料を収集した。その結果、(1)拡大均衡目的の輸出統制が輸入統制を巻き込むなかで国内産業界の利害対立を惹起すること、(2)外務省の国際協調路線が商工省・軍部の原料国策にとってかわられること、(3)輸入関連産業を代表する三井物産安川雄之助の「中国市場確保論」はきわめて早い1934年6月に提唱されたが、これは物産内部の路線対立に敗れた安川が拡大均衡目的の輸出統制を選択した物産主流派に対する警鐘の意味で主張していること、(4)輸出統制と輸入統制をリンクさせようという考え方は1933年頃から見られること、(5)入超国としての日本は複関税制度導入など輸入制限措置を模索するが二国間で見た場合日本側出超のケースが非常に多いという世界市場における日本の特殊事情から見送られ、通商擁護法制定にとどまったこと、などを確認した。これらについては現在、資料整理・解読の段階であり、論文執筆は平成6年度に行う予定である。
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